大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和45年(わ)512号 判決

主文

被告人を懲役参年六月に処する。

未決勾留日数中百参拾日を右刑に算入する。

理由

罪となるべき事実

被告人は中学校を卒業後、農家の手伝い、線路工夫、店員等転々として職をかえ、昭和四五年四月下旬頃、住み込みさきの大阪市北区信保町のすし商鯛家こと田中丈太郎方を退職してからは、徒食放浪していたものであるが、

第一  同年五月一日午後六時過ぎ頃、京都府相楽郡精華町大字北稲八間小字丸山三番地の二久保吉明方付近路上にさしかかつた際、食事代等にも困つていたところから、同家に母子二人のほか人影が見当らないのを奇貨として、同家に押し入り金品を強奪しようと決意し、その頃、所携のタオル(昭和四五年押七五号の三)で覆面をし、同家階下の台所にあつた文化包丁(同号の一)と果物ナイフ(同号の二)を携えたうえ、同家二階において、同人の妻多津子(当三〇年)に対し、右文化包丁を同女の胸部に突きつけ、「静かにせえ、金を出せ」と申し向け、同女を階下応接間に押し入れ、電話の線を切断するなどして脅迫し、その反抗を抑圧して金品を強奪しようとしたが、同女が長男篤彦をその場に残したまま、隙を窺つて屋外に逃げ出したためその目的を遂げず、

第二  同女の届けにより、間もなく警察官によつて同家が取り囲まれたことを知るや、右篤彦(当時生後一年七月)を人質にして逮捕を免れようと企て、同日午後六時三〇分頃、同児を同家二階奥六畳の間に連れて行き、警察官らに対し、「近づくと子供を殺すぞ」と申し向けて外部との交通を遮断し、歩き廻る同児を手や足で押えて、同部屋の片隅に留めおくようにするなどして、同日午後一一時頃までの間、同部屋から同児の脱出を不能にさせて、不法に人を監禁し

たものである。

証拠の標目 〈略〉

法令の適用

判示第一の所為について

刑法第二四三条、第二三六条第一項

判示第二の所為について

同法第二二〇条第一項後段

以上同法第四五条前段、第四七条、第一〇条、第六六条、第七一条、第六八条第三号

ほかに同法第二一条、刑訴法第一八一条第一項但書

弁護人の主張に対する判断

弁護人は、監禁罪は人の行動の自由を侵害する行為であるが、本件被害者は、本件犯行当時生後一年七月を経たばかりの幼児であつて、行動の自由の前提要件とされる行動の意思が認められないから、本件監禁罪の客体とはならない、と主張する。

おもうに、監禁罪は、身体、行動の自由を侵害することを内容とする犯罪であつて、その客体は自然人に限られるが、右の行動の自由は、その前提として、行動の意思ないし能力を有することを必要とし、その意思、能力のない者は、監禁罪の客体とはなりえないと解する説が有力にとなえられている。

たしかに、監禁罪がその法益とされている行動の自由は、自然人における任意に行動しうる者のみについて存在するものと解すべきであるから、全然任意的な行動をなしえない者、例えば、生後間もない嬰児の如きは監禁罪の客体となりえないことは多く異論のないところであろう。しかしながら、それが自然的、事実的意味において任意に行動しうる者である以上、その者が、たとえ法的に責任能力や行為能力はもちろん、幼児のような意思能力を欠如しているものである場合でも、なお、監禁罪の保護に値すべき客体となりうるものと解することが、立法の趣旨に適し合理的というべきである。

これを本件についてみるに、前掲各証拠を総合すると、被害者久保篤彦は、本件犯行当時、生後約一年七月を経たばかりの幼児であるから、法的にみて意思能力さえも有していなかつたものと推認しうるのであるが、自力で、任意に座敷を這いまわつたり、壁、窓等を支えにして立ち上り、歩きまわつたりすることができた事実は十分に認められるのである。されば、同児は、その当時、意思能力の有無とはかかわりなく、前記のように、自然的、事実的意味における任意的な歩行等をなしうる行動力を有していたものと認めるべきであるから、本件監禁罪の客体としての適格性を優にそなえていたものと解するのが相当である。そして、その際同児は、被告人の行為に対し、畏怖ないし嫌忌の情を示していたとは認められないけれども、同児が本件犯罪の被害意識を有していたか否かは、その犯罪の成立に毫も妨げとなるものではない。

弁護人の主張はこれを排斥する。(橋本盛三郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例